おはようございます!合同会社sInの長嶋です。

一昨日の筋肉痛が、まだ完治しておりません(笑)

やはり高校生や20代の子、経験者が多くいる環境でのバドミントンは中々でした。

ですが、1年前に、36歳のド素人からはじめて、そこそこ打てるようになってきた事、

こんな自分も合宿に呼んでくれる事には、感謝しかないですよね。

で、合宿の冒頭でサークルリーダーから、合宿の過ごし方の話がありました。

”何の為に、この練習をやるのか。自分は何を学ぶのか、を意識しながら練習して欲しい。

たった1年で、ド素人の長嶋さんが、ここまで打てているのは、考えながら打っているから。

普段の練習でも、ブツブツ言いながらやってるでしょ?あれ、めちゃ、大事。

都度都度、自分でフィードバック掛けて、良い点・悪い点を意識して、改善してる。

そうやって、少ない練習から多くを学ぶような合宿にして欲しい。”

そのリーダーも経営者なので、やはり見てるんですね~。

いやー、シンプルに無邪気にバドミントン楽しんでいたのに、そんな風に見られていたとは・・・

確かに、同じように社会人からはじめて、5年近くやっている人とも、打てています。

高校生から20代の若者に、オッサンの努力の姿で、何か語れているとするならば、

こんなに嬉しい事はないですね。

さてさて、先週末は演奏会、今週はバドミントンの合宿と、趣味に興じているなぁと、

流石の僕でも実感しています。

その最中、悲しい事もあり、この1週間は、人生の中でも濃い1週間でした。

宗教の話は一旦終わったんですが、まだ書き切れなかった事があるんです。

それが、音楽やバドミントン、つまり趣味の部分とも共通項があるので、今回は、そこに言及します。

僕は、宗教にも、法にも、音楽にも、バドミントンにも、共通する事があると思っています。

なんだと思いますか?

一定の制限を設ける事

だと思っています。

法は分かり易いですよね、やって良い事、悪い事の制限を設けています。

あれが、なぜ分かり易いかと言うと、制限を設けている対象が、目に見えている(顕在化している)

からです。

なので、音楽もバドミントンも分かり易いですね。

音楽には、基本的には楽譜が存在し、それは世界中、どこに行っても共通です。

なので、同じベートーヴェンの交響曲を、本場ドイツでも演奏出来るし、日本でも演奏可能、

アメリカやブラジル、インドでも演奏が可能な訳です。

バドミントンだって、勿論、同じです。

ルールがあって、道具の決まりがあって、コートの広さ、ネットの高さ、対戦の方法、人数、

これは、公園でやっていても、点数とかありますから、一緒です。

音楽もバドミントンも、言い方を換えると、遊び、ですよね。

そもそも、思いません?

遊びって、なんで成立するのか?(僕だけ?)

結論から言うと――
遊びは「生きるために必要だけど、目的から一度切り離された行為」だから成立します。

もう少し構造的に整理すると、

①「無駄」なのに、意味があるから

遊びには共通点があります。

  • すぐに生存に役立たない
  • お金や成果に直結しない
  • やらなくても困らない

一見「無駄」です。

でも実は、生きる力を“間接的に”鍛えている行為なんです。

例で言うと:

  • 子どもの鬼ごっこ → 逃げる・追う・状況判断
  • 将棋やゲーム → 読む力・仮説思考
  • ごっこ遊び → 他者視点・社会ルール理解

目的から外れているからこそ、安全に試せる練習場になる。

これが、遊びが成立する最初の条件です。


②「ルールを自分で受け入れている」から

遊びの世界では、こんな不思議なことが起きています。

  • 本当は意味がないと分かっている
  • でも、その間だけ「本気になる」

たとえば:

  • ボールが線を越えたらアウト
  • カード1枚で勝ち負けが決まる

現実には何の強制力もないのに、自分からそのルールに縛られにいく

つまり遊びは、

強制されない制約を、自発的に受け入れる行為

なんです。

これは実は、人間だけが高度にできること。


③「失敗しても、世界が壊れない」から

遊びの最大の価値はここです。

  • 負けても命は取られない
  • 間違えても社会的に抹消されない
  • もう一回できる

だから人は、

  • 試す
  • 挑戦する
  • 無茶をする

リスクが管理された世界だからこそ、創造性も学習も最大化する。

仕事や現実が「遊び化」すると強いのも、この理由です。


④遊びが成立する社会は、余裕がある

実は、遊びは「文明のバロメーター」でもあります。

  • 食べるだけで精一杯 → 遊びは消える
  • 少し余白がある → 遊びが生まれる

でも逆に言えば、遊びがある社会ほど、長期的には強い

理由は単純で、

  • 遊び=学習
  • 遊び=関係性づくり
  • 遊び=創造の源

だからです。

うーん、深いですね。

今の日本には、遊びの要素がとっても必要だと思います。

真面目なのは、良い事。

でも、それは、時と場合による、と思います。

では、遊びと趣味はどうでしょう?

なにか、違いはあるんでしょうか。

結論から言うと――
趣味とは「成果や評価から切り離された、自分との対話の場」です。

少し分解します。


①「やらなくても困らない」のに、やりたくなるもの

趣味の最大の特徴はこれです。

  • 収入にならなくても続く
  • 誰に褒められなくてもやる
  • 上手くならなくても手放さない

つまり、外から与えられた理由がない行為

だからこそ、「その人が何を大事にしているか」がそのまま出る。

趣味は、性格や価値観の“地層”みたいなものです。


②遊びとの違いは「継続」と「内向き」

遊びは比較的、瞬間的です。
一方で、趣味は

  • 繰り返す
  • 深まる
  • だんだん語りたくなる

さらに重要なのは、他者よりも「自分が納得するか」が基準な点。

勝ち負けや優劣より、

  • 心地よい
  • 落ち着く
  • しっくりくる

この感覚が中心にあります。


③趣味は「役割を脱ぐ時間」

仕事、家庭、肩書き。
人は常に何かの役割を背負っています。

趣味の時間だけは、

  • 上司でもなく
  • 親でもなく
  • 成果を出す人でもない

ただの「自分」に戻れる。

だから、疲れている人ほど、無意識に趣味を求めるんです。

これは逃避ではなく、回復です。


④趣味は「意味を自分で決めていい世界」

仕事や勉強は、意味やゴールが外から決められがちです。

趣味は逆。

  • 意味がなくてもいい
  • ゴールがなくてもいい
  • やめても、再開してもいい

この自由さが、人の思考を柔らかくします。

結果として、

  • 仕事の発想が広がる
  • 人への耐性が増す
  • 長期的に折れにくくなる

まとめ

趣味を一言で言うなら、

「役に立たなくていいことを、あえて大事にする行為」

でも皮肉なことに、そういうものほど、人生や仕事を静かに支えます。

話を戻すと、遊びも趣味も、一定の制限が無いと、成立しないモノが多い筈です。

例えば、観葉植物を育てていますが、あれも欲しい、これも欲しいは、

金銭的にもスペース的にも限界を迎えます。

それでもやりたければ、それ自体をビジネスにしてしまう方法が考えられます。

でも、それは、遊びや趣味の領域から出てしまいますね。

野球少年にとって、野球は遊びや趣味だと思いますが、大谷翔平にとっては仕事です。

楽しむ気持ちが0だとは思いませんが、遊びや趣味とは一線を画す事になる訳です。

一方で、宗教における制限。

根本は、人を救うための手段です。

迷う人を導く手段として、食べるモノを制限したり、礼拝を強制したり、衣類を強制したり、

様々な決まりがあったりすると思います。

ある意味で、正しいと思います。

基本的に、人間の悩みって、人間に対して起こりますからね。

○○くんに悪口言われた。職場で嫌われた。酷い事を言ってしまった。

そんな時に、縋る先になるのが、一定の考え方、宗教なんだと思います。

また、人の思考や行動を制限するから、余計な厄介事に巻き込まれなくて済む、

そういったメリットもあるでしょう。

僕が本人になった訳ではないので、分かりませんが、

なんでも制限があって、親に言われた通りに動いて、困ったら教祖を仰いで・・・

そこに、自分自身の○○は、存在するのでしょうか。

欲を捨てなさい、的な考え方は、どの宗教でも在りがちだと思いますが、

欲を捨てたい、のも、欲ですからね。

つまり、無欲になりたい欲求・・・うーん、なんか矛盾しているような気がしなくもないです。

親に言われて、良い高校、良い大学、有名な会社に入社、

思う事は色々あるけど、結婚して子供もいるから、自分のやりたい事なんて言えない・・・

なんか共通する部分があるようにも思えます。

長くなったので、この辺りにしようと思いますが、

制限する事には、メリットもあるし、やはりデメリットもある、そんな気がします。

今日はこの辺りで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

合同会社sIn(シン) 長嶋泰人

カテゴリー: ブログ

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