おはようございます!合同会社sInの長嶋です。

昨日は、月に一回のこども食堂のボランティアの日でした。

普段は、7人くらいで回しているんですが、昨日は、何と、たったの4人!!

インフルエンザで来れなかったスタッフもおりました。(来る予定で)

電子レンジでチン、とかではなくて、ちゃんと料理したモノを提供するので、

キッチン2人、ホール1人、受付1人で、対応しました。

しかも、その内の1人は、用事の為、途中帰宅・・・朝の段階では心配されましたが、

終わってみると、何とかなるもんですね。

この時期の、こども食堂の仕事で、必要な事を挙げます。

・料理

・配膳

・バッシング(食器回収・掃除)

・受付&案内

・駄菓子コーナーのレジ打ち

・食器洗い

・薪ストーブの火力調整(薪補充)

・こども達の相手

今回の4人は、初期から入っている慣れているメンバーで、注文書を書かなくても、

入口から入ってきた段階で、何人であるかキッチンに伝え、準備が始まります。

流石に0から作るのではなくて、作ってあるモノを温めたり、よそったりしています。

限られた席数なので、誰を何処に座らせるかは、意外と重要です。

これをミスすると、まとまった人数が来た時に、若干テンパったり、席の移動が発生したりします。

でも、ここに関して、上手くいった要因は、スタッフ側だけではありません。

こども食堂を利用される人は、こどもだけの場合もあれば、家族の場合もあります。

NPOなので、中学生までは無料、高校生以上は500円頂戴していますが、

勿論、普通の飲食店で500円で食べられる内容のご飯ではありません。

昨日は、さつまいものシチュー、白菜のサラダ、小松菜と卵の炒め物、デザートでした。

創始者の専治さんが、極めて清らかな志で運営していて、それが利用者さんにも伝わっています。

なので、こども達も

”お店が混んできたら、席空けて学校に遊びに行くから言ってね。”

と自ら言ってくれますし、

席の移動が起きた時にも、皆さん、嫌な顔一つしないで協力してくれます。

そういった、暗黙の落ち着いた空気感、安心感が、こども食堂には流れています。

聞こえるのは、ちょっとしたBGMと、こどもの遊ぶ声、親の談話声、だけです。

ある程度、利用者さんが増えてくると、渋滞するのが、洗い物です。

食器には限りがあるので、一定数出ると、洗わないと追いつかなくなります。

そこで誰かが張り付く事になると、実質3人で回します。

そういう時に限って、食事を終えたこども達が駄菓子コーナーで買い物を始め、

遊び相手になる事を要求してきます。

ですが、新たな利用者さん来訪、ストーブ火が消えそう、バッシングしなきゃ・・・

みたいな事が繰り返されて、気が付いた時には14時になってましたね。

最初の利用者さんは10時過ぎにはいらっしゃってました。

でも、やっぱり、こども達には助けられてますね。

駄菓子のレジに、どうしても人が行けない時は、

”ごめーん、ちょっと待っててよー。”

で、文句一つ言わずに待ってますし、

洗い物をしていて相手が出来ない時は、執拗にお願いをしてきません。

こども達同士で遊ぶように、方向転換してくれます。

これ、多分、出来てない大人、めちゃくちゃ多いんじゃないですかね?

待てない大人、状況を考えずに自分の要求を通そうとする大人。

以前、幼稚園のコンサートの時にも書きましたが、

社会科見学は、こどもが大人を見に行く、勉強しに行くんじゃなくて、逆です。

大人がこどもを見に行って、こどもから学ばせてもらう、こっちの方が世の中、好くなりますよ。

授業参観も、我が子の頑張りを見に行く、じゃなくて、

こども達の素直さを学ぶ体験、って思った方が良い気がしますね。

そしてそして、こども食堂のような活動をしていると、不思議と、そういう人が集まってきます。

食材は地元の方から無償で頂いたものを使わせて頂いてますし(全部は賄えません)、

昨日は、最近、こども食堂の存在を知ったと言う、高齢の方が、パンや果物を持って来てくれました。

聞くと、高齢になって、何となく奉仕活動的な事をしたいと思っていたものの、

やり方や場所がなくて、何もやれていなかったとの事。

日課の車での巡回中に見つけてくださって、サポート会員に登録してくださり、

こども食堂の実施日には、何か、食料を持ってきてくださるようになりました。

0から始めるのは、難しいかもしれないですが、誰かが作ってくれた1に力になる事は出来る、

そんな人は、まだまだ今の日本にも、一定数はいるんじゃないでしょうか。

高齢の方って、どこから高齢ってカテゴライズするか難しいですが、

定年が65歳とかなので、そこだとして話をすると、

もう夢を叶えている人、です。

だって、高齢者の括りに入っているという事は、”長生きしたい”って夢は既に叶ってますよね?

長生き出来たから、高齢者って呼ばれるようになったんですよね?

それなのに、どうも、鞘に納まろうとされる方が、多くない印象です。

勿論、日本だけではありません。

排他的な考え方を持った先進国(だった国)は、確実に人口は減ります。

先進って、良い様に聞こえますが、

便利になるという事は、本来の自分では出来ない事が出来るようになります。

だって、5km先の目的地に、道具無し5分で着くのって無理じゃないですか?

オリンピック選手でも、余裕で、無理です。

そして、本来出来なかった事が、やがて、あたかも自分が出来るように錯覚し、当たり前になります。

次に訪れるのは、もっと便利なモノがないかって、言い始めます。

それを嗅ぎ付けた人が、資本主義に則って、それを開発し、ビジネスにし、提供します。

この繰り返しですよね。

その先に、何があるか?

本来の自分では、出来ない事が出来てしまう現象の多発。

別の表現をすると、今までやらなければならなかった事も、やらなくて良い様になります。

確実に、無能に近付きますね。

その上で、やれる事が増えているので、我儘になります。

※どちらも理性を持って生きれば、流されません。

時代が変わっても、こどもはこどもです。

でも、時代が変わって、大人は変わってしまった気がします、確実に。

良い事は良い、悪い事は悪い、そう言えない大人が増えた気がします。

まぁ、でも、その原因を作ったのは、自分達ですけどね。

モンスターペアレンツみたいな話から、○○ハラスメントだ、○○権の侵害だ、とか。

やっぱり我儘は、良い事ないですね。

父方の祖父なんか、ホントに落ち着いた人格者でしたけどねぇ。

それとも、僕が育っていく上で、実際に出会ってきた高齢者の方が、

大変出来ていた人だった、だけでしょうか。

あ、でも、父方の祖父は、上場企業の役員までやられた人だったみたいな事を、

チラッと聞いた事があるかもしれません。

そう言うと、結局、金かよ~みたいに思うかもしれませんね。

今の時代は、少し意味合いが変わってきている気がしますが、

お金持ちって、お金持ちになる準備が整っている人がなるモノだと思います。

礼儀礼節はキチンとしているし、穏やかだし、誰よりも気が配れるし、懐が大きいです。

これ、お金持ちになったから会得できたんじゃなくて、そういう事が出来るから、

結果的にお金が集まったんじゃないかと、僕は思いますね。

鶏が先か卵が先か、みたいな話ですが。

僕は、何年か前から、どうやって死ぬかを考えて生きています。

あ、命を落とす手段の話ではありませんよ。

言い換えると、何を成して死ぬか、何を残して死ねるか、そんな感じです。

よく言っているのは、激落ちくんみたいなウレタンスポンジって分かりますか?

あれって、汚れ落とすと、ボロボロになって、少しずつ小さくなっていくじゃないですか?

あのイメージの延長で、皆の役に立って、ボロボロになって死ねたら良いな、と思って生きてます。

あ、これ書きながら、自分でも思いました。

まだ全然、ボロボロ具合が足りてないなって。

まだ全然、残せるものなんて何一つないなって。

先ずは、目先の出来る事からやっていく。

今日は、明日本番の演奏会の練習が夕方からありますが、

その前に、溜まっている読書を今から始めます。

今日はこの辺りで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

合同会社sIn(シン) 長嶋泰人

カテゴリー: 人財教育ブログ

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