おはようございます!合同会社sInの長嶋です。
昨日は、ボランティア先のこども食堂で、クリスマス会があり、
コンサートと司会で、盛り上げに行って来ました。
近隣の小学6年生限定で行われたのですが、30人近く来ると、エネルギーが凄いですね。
ビンゴをしたり、ケーキを食べたり、大盛り上がりで終えられて良かったです。
ですが、昨日来た子達は、春からは中学生です。
こども食堂は中学生までは無料ですが、今より少し遠くに通う事や部活動?の事を
考えると、学校終わりに来てくれる頻度は、恐らく減る事でしょう。
主催の専治さんは、子供達が喜ぶ姿を見つつ、嬉しさの中に、寂しさもあった様に見えます。
でも、寂しさを覚えると言う事は、それだけ本気に向き合ってきた証拠です。
やはり見習うべき点が、幾つもある人だと、改めて感じました。
さて、こども食堂繋がりと言う訳でもないですが、
先日の、こども食堂の忘年会?の時に、僕はバスと徒歩で会場に向かいました。
その時に感じた事を書きたいと思います。
大人になって、車に乗るようになると、
移動する時は、基本的に、車になりますよね。
僕は、コンビニは基本的に利用しないのですが、例えば、近くのコンビニに行くのも車、
って人は、結構多かったりするのではないでしょうか。
まぁ、つまり、道を自分の足で移動する、機会は減っていませんか?
バス通勤や、ウォーキングやランニングが趣味の人を除くと、結構該当しますよね。
ちなみに、僕も該当します。
で、先日の、久々の徒歩、ハッキリ言って、めちゃくちゃ新鮮でしたね。
夕方5時頃なので、もう大分辺りは暗くなっていて、あの日は少し雨も降っていました。
普段、車で何気なく通過する道なので、何が何処にあるかは、把握しています。
何となく、直観的に感じたのは、
”あれ?自分って、こんなに、ちっぽけだったっけ?”
です。
車に乗った状態で見る車は、大して大きく見えません。
でも、歩道で道行く車を見ていると、大きいなぁ、と素朴に思いましたね。
だからこそ、免許の取得は、厳格であって欲しいものです。
また、いつも通過する本屋や車屋の看板も、もの凄く遠くに見えました。
つまり、人間って、やっぱり所詮は、ちっぽけな存在なんだと、再認識しました。
僕はテレビを見ないので、どの程度、過熱しているか分かりませんが、
今、日本は、熊で盛り上がって?ますよね?
昔だったら、貴重な食糧だ!って喜んでいたかもしれませんが、
今も昔も変わらず、脅威ですよ。
つまり、人間の、生き物としての、肉体的な性能?、例えば平均身長が2mを超えた、
とか、そういう事にはなってないですよね。
多分、脳の構造的に、大脳新皮質の進化は、肉体よりも、思考の方に重きがあるので、
そういう事になるのだと思います。
思考によって、技術が進歩し、世の中は便利になっていると思います。
それは、疑いの無い、事実だと思います。
では、それが果たして、人々の幸福をもたらしているのでしょうか。
人々が便利に関して、大きく進んだのは、18世紀後半〜19世紀前半に起きた産業革命でしょう。
あれの意図は、何だったんでしょうか?
多分、合理性・利益・効率を追い続けた結果、社会全体が不可逆的に変わった、
簡単に言うと、経済を良くする力を掛けたら、結果的に便利になった、でしょう。
中には、世の中を良くしたいと思っていた人も勿論いるとは思いますが。
今起きている、AI・DX・自動化も似たような印象を受けます。
これから、合理性・利益・効率を追い続けた結果、社会全体が不可逆的に変わった
状態が、また再び起こるのでしょうか?
産業革命をこんな風に捉えた偉人もいますね。
人類を豊かにする力を持ちながら、不幸も同時に量産した転換点
人を楽にするはずの機械が、人をさらに忙しくした
3大幸福論者の一人、バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)です。
ラッセルは産業革命をどう見たか
ラッセルは、産業革命を
「人類を豊かにする力を持ちながら、不幸も同時に量産した転換点」
として捉えました。
彼の評価は、全面否定でも礼賛でもありません。
ラッセルの基本的な立場
① 技術そのものは善でも悪でもない
- 機械化・大量生産は
→ 本来、人間を重労働から解放する力を持っていた - 問題は
→ それをどう使ったか
ここがラッセルの一貫した視点です。
② 産業革命が生んだ「ねじれ」
ラッセルが強く批判したのはここです。
- 生産力は飛躍的に向上したにもかかわらず
- 労働時間は短くならない
- 精神的自由は増えない
- 一部に富が集中する
「人を楽にするはずの機械が、人をさらに忙しくした」
という逆説です。
③ 有名な主張:労働時間はもっと短くてよい
ラッセルは随筆
『怠惰への讃歌(In Praise of Idleness)』でこう主張します。
- 技術進歩があるなら
→ 労働時間は1日4時間程度で足りる - 余った時間こそ
- 教養
- 創造
- 思索
- 人間らしさに使うべきだ、と。
これは産業革命の「未回収の果実」を指摘した議論です。
ラッセルにとっての産業革命の本質
一言で言えば、
問題は生産ではなく、分配と価値観
- 機械は人を救える
- だが、
- 利益至上主義
- 勤勉=美徳という思い込みが、それを歪めた
という見方です。
現代との接続(重要)
ラッセルの議論は、そのまま今に当てはまります。
- AI
- 自動化
- DX
も本来は「人を楽にする技術」です。
それが
- 忙しさを増やすのか
- 自由を増やすのか
どちらになるかは、経営と社会の思想次第
——これはラッセルからの、かなり鋭い問いです。
彼の言う、”怠惰”に認識違いがあってはいけないので補足すると、
なぜ怠惰を肯定したのか(3つの理由)
① 技術進歩は「余暇」を生むためのものだから
産業革命以降、
- 生産力は飛躍的に向上した
- 本来なら
→ 労働時間は短くなるはず
しかし現実は、
- 忙しさは減らない
- 「働くこと自体」が目的化した
ラッセルはここに論理的な矛盾を見ました。
② 勤勉信仰は社会を硬直させる
ラッセルは、
「勤勉=善」「怠惰=悪」という価値観を疑いました。
理由は明確で、
- 疲弊した人間は
- 思考しない
- 創造しない
- 疑問を持たない
結果として、
従順だが愚かな社会が出来上がる
これは彼にとって、最も危険な状態でした。
③ 文明は“余った時間”から進歩する
ラッセルの核心です。
- 科学
- 哲学
- 芸術
- 民主主義
これらはすべて、
直接役に立たない時間
から生まれている。
だから彼は、
- 1日4時間労働で十分
- 残りの時間を思索・学習・遊びに使うべきだ
と主張しました。
ラッセルにとっての「怠惰」の定義
| 一般的な怠惰 | ラッセルの怠惰 |
|---|---|
| 何もしない | 意味のない労働をしない |
| サボり | 人間性を回復する時間 |
| 社会悪 | 文明の源泉 |
現代への示唆(重要)
ラッセルの問いは、今の経営に直結します。
- AIで生産性が上がる
- 自動化が進む
そのとき、
- さらに仕事を詰め込むのか
- 人を“考える存在”に戻すのか
ここで選択を誤ると、
産業革命と同じ失敗を繰り返す
——これがラッセルの警告です。
「雨風をしのげる家があり、食べるものがあり、家族がいるから幸せだ」
これは、ブータンが「幸福の王国」として世界的に注目されていた時期に、
国民が口にしていた有名なフレーズです。
🧘 ブータンの幸福観を支える考え方
「足るを知る」
ブータンの幸福観の根底には、仏教的な「足るを知る」という価値観がありました:
- 現状の中で幸せを感じる力
- いつも感謝し、小さな幸せを探す意志
- 比較しない生き方
💭 その他の特徴的な言葉
「何もないことが幸せ」
- 過剰な欲望を持たないことの価値
- シンプルな生活への満足
「心の幸せを大切に」
- 物質的豊かさよりも精神的な充足
- 祈りと善行を重視する生活
「比較しない」
- 他国や他人と比べない生き方
- 自分たちの価値観の中での幸福
これは、過去完了形の話です。
今のメディアだけでなく、個人でも何でもSNSで拡散されてしまう世の中で、
比較の土俵に上がらないのは可能でしょうか?多分、不可能ですよね。
それが、過去完了形になってしまった、一つの要因だと思います。
便利や技術、これだけで、自動的に幸福が運ばれてくる事は無さそうです。
それは、政治も同じです。
どこの政党が舵取りしても、誰が首長を務めたとしても、です。
一時的に、恩恵に授かれる事はあったとしても、恒久的になる事は、先ず、あり得ません。
だって、恒久的になっていたら、日本は、こんなに若者が自殺する国にはなっていない筈です。
つまり、結局は、外部の事ではなく、内部の事、つまり、自分が、どう捉えるか、どう生きるか。
世界3大幸福論者の言葉を、めちゃくちゃ要約して書くと、
- 意志を持ち(アラン)
- 余白をつくり(ラッセル)
- 意味に向かって生きる(トルストイ)
です。
でも、今の技術革命は、産業革命とは、少し気質が異なる気がします。
その技術を扱えない人は、置いて行かれてしまうような、
貧富の差が更に拡大し、二極化が進んでしまう、そんな事を危惧してなりません。
今日はこの辺りで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
合同会社sIn(シン) 長嶋泰人
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